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2010年8月6日金曜日

広島「幟町小学校」での平和集会


8月6日午前7時 幟町小学校
佐々木禎子さんが通った小学校です。


今日は子どもたちの前で、ふたりで「INORI~祈り~」を唄います。
手にしている千羽鶴は、なんと祐滋さんの奥様が折られたもの。
あまりの小ささ、美しさに、びっくり。
でも禎子ちゃんが薬の包み紙で折った折り鶴も、
こういう小さな折り鶴だったんですね。


校舎の各クラスにいた子ども達が体育館に集まってきました。

そういえば以前INORIツイートに、広島から東京へ嫁いできた方が書かれていました。
東京の学校は8月6日に登校しないと知って驚きました。広島の子ども達
にとって、8月6日に平和を祈る、というのは当たり前の事だったのに、と。



平和記念公園での式典が体育館のスクリーンに映し出されました。

<この地球を笑顔でいっぱいにするために、
ヒロシマの願いを、世界へ、未来へ、伝えていくことを誓います>
2010.8.6「平和への誓い」 (子ども代表・小学六年)





生徒たちの前で、祐滋さんとクミコがふたりで「INORI~祈り~」を。
みんなよそ見することもなく、じっと歌に聴き入っていました。


走るのが得意で活発な元気な女の子だった禎子ちゃんは、
小学校5年の11月に両リンパ腫が腫れはじめ、
翌年の1月と2月にABCC(原爆障害調査委員会)で調査を受け、
「亜急性リンパ腺白血病」と診断されます。
「余命3ヶ月、長くとも1年はもたんでしょう」と。

生徒達が唄う「折り鶴が飛んだ日」聴きながら、クミコはずっと泣いて
いました。禎子さんと同じ年の子どもたちを見て、早く治りますようにと
祈りながら折り鶴を折っていた禎子さんも「こんなに小さかったんだ」と
あらためて思ったら涙がとまらなくなった、と。そして子ども達の声が
まるで天使の歌声のようだった、とも。本当に、この日の青空のように
澄みきった美しい歌声でした。                        


「平和集会」が終わったあと、その体育館からTVの生中継。
この朝広島では各局で特集が組まれていたのですが、こう
いう番組こそ全国放送してほしいと改めて思いました。



澄んだ青空が広が小学校。
きっと禎子さんも見ていてくれましたよね。



*文中の引用はこちらから⇒「佐々木禎子の生い立ち」




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