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2010年10月17日日曜日

「INORI~祈り~」の奇跡

クミコの元に届いた1通の手紙。
そこに書かれていたのは、驚くべきことでした。
「INORI~祈り~」という歌が起こした、「奇跡」。
お手紙の一部をここに転載させていただきます。

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クミコ様へ


先日は、リハーサル前の多忙の中で会って下さいまして誠に
有り難うございました。INORI「祈り」の曲のすばらしさ、広島の
受けた痛みそのものが一つになっているメロディと思い聴いて
います。そして、この曲で奇跡が起こりましたことをご報告致します。


私の友達のご主人が高い所から転落しました。脳挫傷と診断
され、「95パーセント助かりません」と医師から宣告されました。
友達が私に「私の主人は、テレビで聴いた佐々木禎子さんの
ことを歌った曲が好きで、”良い曲じゃー”と言っていたんよ」と、
言ってくれたのです。


私は友達にお願いして、ご主人のために、アカペラで耳もとで歌
わせて欲しいことを伝えると、友達が即、病院の方にお願いをして、
病院側から許可がおりて、二人だけのミニコンサートを病室でしました。


すると、ご主人の目が開き口を開けて動かしたのです。その後
熱も下がり、9月28日には、脳の手術が出来ることになりました。


好きな曲がクミコさんの「祈り」だったことも驚きましたが、命はもう
助からない宣告から、今は生還されて、リハビリの計画まで、今は
進んでいます。クミコさんの悩まれ苦しまれたこれまでの歩みの中
での今、私の友達は、この曲は光そのものと語っています。(呉
国立病院で頑張っています。)いつもいつも応援しています。
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この手紙を書かれた坪池さな江さんは、以前から「一度クミコさんにお目にかかりたい」と仰られていて、9月4日広島市民芸術祭のリハーサルの時にクミコとの対面が実現したそうです。その時、坪池さんは「クミコさん、山縣明久さんをご存知ですか」と。「存じています。銀巴里でご一緒したこともありますし」とクミコが答えると、坪池さんとお友達はその山縣さんにシャンソンを習われていたそうで、でも残念ながら山縣さんは3年前に54歳で急逝されたとのこと。

山縣さんは「平和への祈りを歌に込めた」チャリティーコンサートを何度も開かれ、しかも驚くことに「祈り」というオリジナルの歌を唄われていたといいます。生前から「平和を唄う
シャンソン歌手」が現われることを願ってもいた、と。だからクミコさんが「INORI~祈り~」という歌を唄ってくれて本当に嬉しい、と坪池さんは目を潤ませながら仰っていたそうです。

それから暫くしたある日、このお手紙がクミコの元に届いたのでした。坪池さんは10月11日の広島「はつかいち文化ホールさくらぴあ」でのコンサートにもいらして、終演後の握手会の時に、お友達のご主人が目を開けた時の写真をクミコに見せてくださったそうです。

生死の境を彷徨っていた方が、「INORI~祈り~」という歌によって目を開き、その後回復に向かっておられるということは、まさに「奇跡」。が、それだけではなく、クミコと面識のあった山縣さんが「平和への祈りをこめた歌」を唄っていたということ、そして自分の後を担う歌い手が現われることを祈っていたということにも「奇跡」のような縁(えにし)を感じます。

ヒロシマガールズの笹森恵子さんは、「この歌を唄うのがあなたの使命」とクミコに仰っていましたが、クミコが「INORI~祈り~」を唄うことになったのは、何か大きな力に導かれてのことだったのかも。この奇跡の物語を聞いたとき、そんなことさえ思ったのでした。



・山縣明久さんの生前の活動はこちらに掲載されています。
ブログ「山縣明久」
http://blog.goo.ne.jp/chanson_001
・お手紙の転載を承諾して下さった坪池さんに、心より御礼申し上げます。






  

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